獅子舞のルーツついて

 金箱区の中村文夫氏が調査された資料を掲載させていただきます。

 金箱の獅子舞は大正のはじめ、豊野町南郷から伝授されました。この経緯は、明治40年頃の浅川の水害により金箱神社に置いていた獅子舞の用具が流されてしまい、それまでとは異なった勇壮な南郷の男獅子を取り入れたとされています。また、三才の獅子舞も南郷からの伝授とされています。
 南郷に伝わる獅子舞は、1803年 (享和3年) 頃、南郷の宮沢嘉藤治*が鋳物師の免状をとるために京都に行き、權大納言中山家**に奉公しました。この時に獅子舞を覚えたようです。帰郷後に以前は女獅子だった南郷の獅子舞をこの男獅子として今日まで受け継がれています。
 このことから京都の獅子舞を調べていますが、今日までに南郷に伝わるような獅子舞は確認されていません。元となった獅子舞は既に衰退してしまったのか、又は1800年当時、各地から京都に集まった獅子舞の中にこの獅子舞があったのかなど、このルーツはここで途切れています。今後はより多くのインターネット情報などの情報収集を行い、この獅子舞がどこから伝わったものかを更に探求していきたいと考えています。

* 宮沢嘉藤治 : 京都では庭師としても技量を高め、中山家では俳句とも出会う。郷里において、それぞれの業績の跡を垣間見ることができる。その一つに、石の俳人・峰村白斎の俳友として、俳人宗二の名を善光寺平の神社各所にある俳額 (奉納額) に残している。
 「月くらし流石牡丹の花の上」   1827年 (文政10年) 奉納  石渡八幡神社俳額より
 「凩(こがらし)や常夜灯の善光寺」  1832年 (天保3年) 奉納  善光寺俳額より
** 權大納言中山家 : 明治天皇の御生家

 <参考文献>
 俳人宗二と中山大納言のこと 新津 武 平成4年3月1日
 長野郷土史研究会機関誌   長野 第162号 1992の2 
 北信濃の俳額        金井清敏 平成19年2月17日  信毎書籍出版センター

September 2016