安土桃山時代~明治中期
江戸幕府の政策により、三才地区は土地による境界線ではなくて、石高(おそらくは世帯単位)で二分されていた時期があります。「三才(a)」 は幕府領、「三才(b)」 は飯山藩領を表しています。
年代 | 駒沢 | 金箱・富竹 | 三才(a) | 三才(b) |
天正10 (1582) | 森 長可(松代) | |||
天正10 (1582) | 上杉景勝(越後) | |||
慶長 3 (1598) | 上駒沢のみ 関 一政 (飯山) | 田丸直昌 (松代) | 関 一政 (飯山) |
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慶長 5 (1600) | 森 忠政(松代) | |||
慶長 8 (1603) | 松平忠輝(松代) | 山田勝重(長沼) | ||
慶長15 (1610) | 平岡帯刀(長沼) | |||
元和 2 (1616) | 直轄(坂城・中之条) | 佐久間勝之(長沼) (佐久間氏・四代) 佐久間勝親 |
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元和 9 (1623) | 松平光長 (上越・高田) |
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寛永元 (1624) | 直轄(中野・中野) | |||
天和元 (1681) | 松平義行 (尾州、中野・新野) |
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天和 3(1683) | ||||
貞享 5 (1688) | 直轄(長沼六地蔵) 元禄14 (1701) 直轄(小布施) |
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元禄16 (1703) | 直轄(小布施) 正徳 5 (1715) 中野陣屋に統合 | |||
享保 9 (1724) | 直轄(中野・中野) | 本多助芳 (飯山) (本多氏・ 九代) 本多助寵 (飯山) |
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宝暦 4 (1751) | 富竹に幕府代官の陣屋(1763年まで) | |||
明和 5 (1768) | 榊原式部大輔 (上越・高田)預かり |
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明和 7 (1770) | 直轄(上越・川浦) | |||
安永元 (1772) | 直轄(中野) | |||
寛政 4 (1792) | 直轄(中野) | 松平周防守 (石州・浜田、 富竹) | 直轄(中野) | |
天保 8 (1837) | 直轄(中野) | |||
慶応 2 (1866) | 上駒沢のみ 直轄 (中野) | 松代預かり所 | ||
明治元 (1868) | 上駒沢のみ 尾州取締所 (中野) |
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明治 2 (1869) | 伊那県 | |||
明治 3 (1870) | 中野県(中野陣屋に県庁が置かれる) | |||
明治 4 (1871) | 長野県 | 飯山県 | ||
長野県に編入 | ||||
明治 5 (1872) | 水内郡第62区 | |||
明治 7 (1874) | 上水内郡23大区2小区 | |||
明治22 (1889) | 上水内郡古里村 | |||
参考文献 | 『長野県町村誌北信篇』「上水内郡誌」、 『古里小学校九十年誌』 小野寺幸雄「古里めぐり資料」 |
※ 2024 年現在の資料による修正を加えてあります。
ここに書かれている 「陣屋」 とは 「代官所」 のことです。