単純に、北しなの線(旧JR)三才駅から見上げる場所にある、国立長野東病院(旧療養所)がある山を三才山だと思っている方が多いようなのですが、それは違います。
三才駅からだと、北部スポーツレクリエーションパーク(籠沢遺跡)入口を過ぎて、田子川をわたり、正面(真北)に見える三角形状の小山が三才山です。広い意味では、その東側に隣接する翠ヶ丘墓苑がある峰も合わせて三才山と言うこともあります。
明治 10 年の地図を見ていただければおわかりになるかと思いますが、現在、北部スポーツレクリエーションパークがある地の字は「袖上野」です。山頂部はその西から南西にあり、当然ながら地籍は三才ではなく上野です。国立長野東病院がある山は「上野丘陵」なのであって、昔も今も三才山ではありません。
それにしても、北部スポーツレクリエーションパークの敷地に、これらの施設が籠沢遺跡の上に建てられていることを示すものが掲示板一つ存在していない、という現状をどう考えたらいいのでしょうか?
犀川より南側の市内であったならば、詳細な解説をともなった掲示板やプレートがこれ見よがしに設置されているであろうことを思うと、ただただ残念でなりません。
Tokiomi