7月13日から、三才田子遺跡での発掘が再開されました。
今回も建設中の道路にかかる部分のみですが、地元としては多古駅家がここに存在したことを有無を言わさずに立証するに足る史料の発見を期待してしまいます。
とはいえ、各地の駅家跡の発掘状況を見てみると、そこが公の場であったこともあいまって建造物の跡は出土しても土器や金属器などは意外と少なく、文字史料の出土も少ないのが現実です。
ただ、隣接する籠沢遺跡で前後の時代のものが出土しているのに 「なぜか、発見されなかった」 弥生期の土器ですが、昨年、ここの調査で見つかっていますし、「土器片を敷いて作られていた導水施設」の存在も確認されています。なので、今回の発掘終了時には、それらも含めた報告書がきちんと公開されることを希望します。
猛烈な暑さが急襲した時期だったので気持ちはわかるのですが、30cm も掘れば竈跡が出る場所もあるところで 「これって、一気に掘り過ぎじゃね?」 と思ったのは私だけでしょうか?
Tokiomi